これを下れば畑集落のどこかに出るだろうと見当をつけ、進むことにしました。 |
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ヤブは刈られているものの、林業関係者か猟師しか通っていないと思われるルートです。足場が悪く、滑り落ちるように斜面を下りました。 |
再び小さなピークが現れました。この微地形のおかげで現在地の支尾根を地図上で確認できました。
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地図に標高384mと出ている小ピークです。このあたりから植生がササからアオキへと変化しています。 |
ここへ来て道は消失してしまいましたが、地図に載っている人家のある方へ下れば、なんとかなりそうです。
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途中、沢に出てしまったらどうしようという不安な気持ちに駆られながら杉林を下っていくと、ほどなく作業道が現れました。 |
こんなところに出ました。あくまで作業用の山道です。この付近に立入禁止の看板がありましたが、出て行く分には構わないだろうと解釈してます。 |
無事に畑沢川沿いの道路にでました。 |
谷ヶ側から振り返って撮影。カーブが始まるあたりの右の茂みから出てきました。 |
無名の滝がいくつもあるようです。
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下流が若番で名づけられています。採石業者が整備し、管理しているようです。 |
途中出会った集落のおじいさんにこの付近のことをいろいろ尋ねてみました。鳥屋砦に関してはその存在を初めて聞いたため、存じないとのことでした。地元でも知られていないようです。またこの上流側にあった峠集落に関しては、家は全部では5軒あったそうで、火事に遭い、3軒はこの下に、2軒は開成町、大井町へ転出し集落は消滅したとのことです。ここは落武者伝説のあった集落でした。消失してしまったことは残念な気がします。
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現在は畑沢川の上流に採石場が開発され、沿道をダンプカーが往来す少々騒がしい谷となっていますが、ハッとするよう風景が散在しています。 |
寒い季節が過ぎ、かつ下草が生えていない3〜4月を私は城跡探訪の時期と決めています。キブシはそんな季節を代表する花です。
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先ほどのおじいさんの話にあった峠集落から移転先はこのあたりの人家と思われます。 |
おわりに 明治中期測量の迅速測図を見る限り、丹土尾砦〜鳥屋砦の尾根道はなかったことが伺えます。地形としてはこの尾根上を進むことは比較的容易で自然なことと思われ、宝永の噴火以前に古道が存在していた可能性は否めません。 |
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