第三相沢川橋梁を渡る371系あさぎり
1992.04.29.撮影
第三相沢川橋梁は名前に反して相沢川を渡る最初の鉄橋である。しかし、かつては第一、第二相沢川橋梁も存在した史実を有している。
明治22(1889)年に単線で開業した東海道本線(現御殿場線)は現在の谷峨駅付近から北へ迂回し、鮎沢川(相沢川)の左岸を通り、ここ第三相沢川橋梁付近で、現在の位置へ戻ってくるルートを走っていた。
開業から12年後の明治34(1901)年に複線化した際、下り線は鮎沢川の右岸を単独で通るルートが選定され、現在の御殿場線はこれを使用していることになる。
昭和18年に単線化されるが、このとき廃止となったのは上り線として使用されていた左岸側の線路である。上り線のみにあった、第一、第二相沢川橋梁はこのときをもって廃止となっている。
旧上り線の第三相沢川橋梁、国府津寄り線路敷は1990年代まで跡地が残っていたが、その後工業用地として造成され、風景は一変した。
現在はかろうじて橋台が往時の姿を偲ばせてくれる。
架橋工事の様子*1)
この曲弦プラットトラスは設計者の名をとり、シュウェードラートラスと呼ばれ、200ft (61.0m)のものが1978年まで使用された。
第一から第三相沢川橋梁まで全てに同型の200ft 曲弦プラットトラスが使用されていた。
迅速測図
現在のトラス
現在は溶接構造の支間62.4mでレールと直結している。柏木踏切より撮影
日本国有鉄道 1977 KS-16
WTT 662-5
川崎重工業株野田工場
柏木踏切から
柏木踏切
第三相沢川橋梁の沼津寄りには柏木踏切がある。この「柏木」とは対岸の集落名で、詳細については第四相沢川橋梁のページを参照されたい。
20年ほど前に訪れたときは旧上り線の廃線敷にスペースがあり、様々な構図で撮影できたと思えるが、現在は川岸が竹薮と化し、見晴らしはきかない。
踏切周辺にも様々な付帯設備が設置され、橋梁とともにフレームに収めるのは困難な状況にある。
紅葉の季節を
クハ313-3002ほか
2010.11.27.撮影
1992年の様子
左の空き地は旧上り線の敷地。現在はフェンスに囲われ通行できない。
デビューして1年目のRSE。パンタが原型である。
115系が渡る
同じく1992年の様子。橋台の上部が現在のトラス用に補強されているのがわかる。左奥に見えるのは箱根6号乙トンネル。
1992年当時の様子
左に旧上り線の橋台が見て取れる。現在はこの一帯が造成され、工場や倉庫が建ち並んでいる。
河原へ通じるこの道も今は消滅している。
国道246号から
2554M
現在、第三相沢川橋梁を撮影できるポイントとしては国道246号からが挙げられる。ただし逆光の位置関係になるため、露出は非常に難しい。
2010.11.27.撮影
あさぎり3号
2010年の秋は台風9号の復旧工事が上流で行われていたため、当日の天候に関係なく川が濁っていた。
2010.11.28.撮影
国道246号からのパノラマ
旧上り線の敷地は工業用地へ姿を変えてしまった。
鮎沢川から
クハ313-2336ほか
渇水期である冬は鮎沢川から撮影することが出来た。ただし、岩や崖登りに慣れてない方には勧められない。
川の濁りもようやく消え、元の川の色が戻ってきたが、氾濫時に上流から流れ着いた漂流物があたりに散在する残念な状況であった。
旧上り線国府津寄りの橋台
橋台の根巻付近
一部護岸が破損していた箇所からはレールが現れていた。立杭(たてぐい)として使用されたようだ。
旧上り線 沼津寄りの橋台
橋台上流側(写真左側)の護岸も平積みであるのが見て取れる。この護岸部分も開業当時のものである可能性が高い。