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在りし日の函館駅

- 1987年冬の情景 -

1986年暮れから新年にかけてと、1987年3月末に北海道を訪れたときの記録を掘り起こしてみた。
当時はまだ青函連絡船が運行し、国鉄からJRへと切り替わる時期でもあった。
当時は気にも留めなかった風景や車輌が今日では貴重なものとして映る。

記 2014年

HAKODATE DOCK

車窓から

函館の車輌基地の背後、海を挟んだ位置に巨大なゴライアスクレーン2基があった。残念ながら老朽化に伴い、2009年に撤去されてしまったが、函館のシンボルのひとつであった。

国鉄色の特急北斗

国鉄色の特急北斗

先頭車輌はキハ183-101or103 
中間車キハ184を先頭車に改造したもので、100番台は全部で4両製造された。

1987年当時は非電化区間だったわけだが、1年後の青函トンネル開通に向け、電化工事が始まっていることも確認できる。

青函連絡船へのゲート

引込線の先に青函連絡船へのゲートが見て取れる。

1987年1月1日

2012年の函館駅

25年後の函館駅

連絡船への引込線が撤去され、代わりに駐車場となっていた。
背後には高架橋や高層の建物が建設されたことも見て取れる。

2012年2月4日

函館運転所

函館運転所

特急北斗の車窓から撮影。旧形客車やキハ80が当然のごとく存在していた。

1986年12月30日

DD51-1053が牽引するコンテナ貨車

DD51-1053が牽引するコンテナ貨車

青函連絡船へ接続するため海側へ大きくカーブしているのが函館駅の特徴。今ではこの緑色のコンテナも懐かしい。

北斗 キハ183形500番台

北斗 キハ183形500番台

特急 北斗 札幌ゆき

特急 北斗 札幌ゆき

この当時は車体のカラーリングがオリジナルのものと混成の編成で運用していた。

DE10-1718

DE10-1718

青函連絡船への貨車の積み込みに使用されていた機関車。
重量の大きい機関車自体が乗船しないよう、貨車との間に控え車が連結されていた。

普通列車 キハ40-161他

普通列車 キハ40-161他

キハ40は、やはりこの色がいい。
ホームにある自販機も昭和のにおいがする。

1986年12月30日

普通列車 キハ22-223

普通列車 キハ22-223 他

キハ22は酷寒地仕様で設計された車輛で、北海道と東北地方に配属されていた。
キハ40と混成運用されることも多かったが、塗色は朱色5号で統一していたため、編成には統一感があった。

1987年1月1日

急行ニセコ キハ27-115

雪まみれの急行ニセコ

キハ27-115 + キハ56-1xx + キハ56-132

8101D 急行ニセコ 函館 15:02発 → 札幌 20:41着

この当時は急行ニセコは祝祭日などに臨時列車として運行していた。もちろん、ニセコアンヌプリのある山線経由である。

1987年1月1日

急行ニセコ 小樽経由札幌行き

急行ニセコ 小樽経由札幌行き

酷寒地用のドアには一回り小さなガラス窓がはめ込まれていた。
ドア下部の丸窓は、車内の一段下がったステップへの明かり取りとして設計されたものである。

急行ニセコ キハ56-123

急行ニセコ

キハ56-132 他

気動車の形式は判りづらいのだが、キハ56、キハ27は広義には共に58系に分類される。
キハ56-100番台は酷寒地仕様で本州用の0番台と比較すると、客室窓が一回り小さく二重窓で、長大編成に対応したエンジンが2台搭載された車輛であった。
キハ27とキハ56の見分け方は、エンジンの搭載数の違いとなるわけだが、外観上は側面中央部の 給油口 * エンジン用の吸水口の数で区別でき、2つある方がキハ56である。また、2台のエンジンにより、床下に格納できなくなった給水タンクが屋根に設置された点からも区別できる。

近年、キハ40にこの急行色を塗装したレトロ風の試みがあるのだが、前面窓の位置が高いキハ40には似合っていないと個人的には感じている。そもそも、キハ40にそんなカラーリングはなかったのだ。
 

* 訂正:給油口だと思っていたものはエンジン冷却用の給水口であることが判明した。


さよなら 日本国有鉄道
Japanese National Railways

昭和62年3月31日をもって国鉄が営業を終了し、JR6社へ移行された。

今思えば、これを機に全国的な鉄道旅行がしづらくなったと言え、JR各社の境界線付近は普通列車の運行さえ分断されがちである。

中原理恵

国鉄最後の日には青函連絡船の様子をテレビ局が取材していた。写真はタレントの中原理恵。

青函連絡船乗船通路

青函連絡船乗船通路

国鉄からJRへ変わる日。「明日から新会社です」の横断幕が掲げられた。
写真手前の改札に各自が記入した乗船名簿を提出する決まりになっていた。左の階段は連絡船のグリーン船室専用の乗船口。一般席は右奥へ直進する構造で、写真にも八甲田丸船体への架け橋が見えている。

さよならJNR 日本国有鉄道

JR発足にあたり、駅構内は飾り付けがされていた。

青函連絡船駅待合室のおじいちゃんと孫

青函連絡船駅待合室のおじいちゃんと孫

日付が変わる0:10発の2便、羊蹄丸の乗船まで待合室で私は仮眠をとっていた。
近くに座っていた、おじいちゃんと孫の会話があまりにも可愛いかったため、思わず撮ってしまった写真。

孫    :「ねえ、じいちゃん。船いつ出発するの?」

お祖父さん:「もうすぐ出発だよ」

孫    :「嘘だ! だって今、夜だよ?」

お祖父さん:「夜でも大丈夫なんだよ」

孫    :「まったく、じいちゃんも分かんない人だねぇ・・」

この5歳ぐらいの男の子にとって、船は夜間、運航しないものと思い込んでいるようだった。

特急おおとり

キハ183形500番台の特急おおとり

函館-網走間を7時間20分かけて運行していた長距離特急。「おおとり」はオホーツク海のオオワシやオジロワシを連想させるネーミングだ。

1987年3月31日

さよならJNR 日本国有鉄道

さよならJNR 日本国有鉄道

数日前から「さよならJNR 日本国有鉄道」のステッカーが掲げられた。

 

DD51-1012が牽く14系座席車

DD51-1012が牽く14系座席車

手元のメモには国鉄さよなら記念列車とあるが、今となっては詳細は不明。ご存知の方はご一報をいただければ幸いです。
昭和62(1987)年3月31日 夕刻 函館駅

キハ27-107とスハフ14

キハ27-107とスハフ14

DD51が牽く14系座席車
DD51が牽く14系座席車 スハフ14 504

スハフ14 504

客席が埋まっていることから、団体列車だったのかもしれない。


八甲田丸

八甲田丸

国鉄からJRへ移行するにあたり、煙突に掲げられたロゴも取り替えることになるため、作業足場が組まれたまま航行していた。

青函連絡船船内放送 SOUND ONLY